ル・コルビュジェ
建築・製図・設計・日記
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★ル・コルビュジェとは★
スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。
三大巨匠の一人である
スイスの時計職人の次男として生まれた。
家業を継ぐために時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだ
美術学校在学中の1907年にコルビュジェの才能を見いだした校長のシャルル・レプラトゥニエの勧めで建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅の設計を手がけている。
1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、短期間ではあったが実地で建築を学んだ。
1911年から半年かけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出た。
1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法であるドミノシステムを発表。
1917年にパリへ戻り、1920年に雑誌エスプリ・ヌーヴォーを創刊。
この頃からル・コルビュジエというペンネームを用いた。
1922年に従兄弟とともに事務所を構えた。
1923年に『建築をめざして』を発表し、世界中の建築家から注目を集めた。
「住宅は住むための機械である(machines a habiter)」は代表的である
1925年のパリ万国博覧会ではエスプリ・ヌーヴォー館を設計。
アール・デコ装飾の展示館が並ぶ中、異彩を放った。
また同年、パリ市街を超高層ビルで建て替える都市改造案を発表した。
低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、パリでは実現しなかったが、これ以降の各国の都市計画に大きな影響を与えるようになった(輝く都市)。
1927年ドイツ工作連盟主催の住宅展に参加し、2棟の住宅を設計した。
1928年以降に開催されたCIAM(近代建築国際会議)では、グロビウスやミースらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。
CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。
1931年竣工のサヴォア邸はコルビュジエの主張する近代建築の五原則を典型的に示し、代表作として知られる。
第二次世界大戦後、ドミノシステムに基づく集合住宅(マルセイユのユニテ・ダビタシオン)を建設。
それは「輝く都市」の実践であった。
後期の代表作ロンシャンの教会堂はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。
ここでは従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。
1965年、南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作で死去。78歳。
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